2011年12月28日水曜日

絆って

最近なんでもかんでも「絆」って言葉でまとめられちゃうことが多い気がしてすこし違和感をもってしまいます。
家族と過ごす時間を大事にしましょう的な言い方をするけどみんながみんな本当にそう思っているのかな?それが1番の幸せなのかな?

私は家族といるとき何を考えてるのかというと
風邪ひかないかなとか勉強ちゃんとやってるかなとか友達とうまくやってるかなとか…
ご飯どうしようかとか、寝る時間だとか、、
心配ばかりしてる。
正直なこといっちゃうとそれが絆だと言うなら、かなり業務的な感覚に近いなと思う。

今ちょっとうんざりしてる。

みんな好き勝手やってるのになんで私がなんでもやらなきゃいけないの?
それってちっとも楽しい時間なんかじゃなくてすごく頑張らないとできない時もあるの。
子供たちが嫌いなんじゃない。
大切だと思う。
簡単にはいかないことの方が多いし自分のことももう少し大事にする時間がほしいのね。
誰かに大事にされてるという実感も無く途方に暮れることもあるのです。

子育ての長い長い時間の中で忍耐という言葉が1番しっくりくる。

絆なんて綺麗事で語れないよ。

例えば古い友人に会いたいとき、家族に気を使って出かけられなかったり
自分の好きなことをやりたくても我慢しなきゃいけないとき
どうやってバランスを取ったらいいのかわからないときがあります。
家族が絆ならそんな風に考えちゃうのはいけないのかな。

…an happy day


2011年12月13日火曜日

無意識

もう何年も思い出したことのなかったことをふいに思い出すことってありますが
そういうときのスイッチってたぶんびっくりするくらい簡単に入るのね。
忘れているときはまったく思い出そうともしないのにね。

それは子供のころよく見ていた怖い夢
…長い髪の女の人がごつごつした洞窟の中で静かに歌っている
私はちょっと離れたところにひっそりと隠れてその姿を見ているの。
そうしてるうちに段々自分の周りの岩が迫ってきて押しつぶされそうになる恐怖に体を固めていると静かに歌っていた女性がどんどん狂気にみちてくる

そんな夢を幾度と無く見ていました。
あの夢を見るときは必ずとても疲れているときだった気がします。

子供ながらになんてひどい妄想でしょう。

あの女性はどこから出てきたんでしょうね。
もしかしたら大人になった自分のこと?
だとしたら相当病んでるな

強い無意識の中
きっと私は正気を失うのでしょうか。



ああちょっと幸せなことではなかったですが今日はなぜかこんなことばかり考えてしまいます。
きっと甘いもの食べ過ぎて気がおかしくなっちゃったんでしょうねww




2011年12月7日水曜日

幸福なお散歩

図書館で温かい珈琲を飲みながら好きな小説を読んでいましたが、
ちょうどカメラを持っていたので図書館のお隣にある郷土資料館の復元された昭和初期の浦安の町並みをぶらぶらとしてみました。

平日の昼下がりだあれもいません


こんな風景がほんのちょっと前まで存在していたのですね。
浦安は水害も少なく穏やかな干潟 あさりの養殖などのどかな漁場だったと聞きます。
今、近代的な建物が立ち並び埋め立てがすすんだおかげで今回の震災
先人たちはこんな未来を予想していただろうか。

こんなのどかな風景の中にいると自然を感じながら暮らしていたんだろうなとちょっと羨ましくかんじました。
ほどなく雨が降り出したので幸せなお散歩もここまで。車に戻り相変わらず液状化でせり上がった道路を走ると栄川沿いに出る。
そこにはかすかに残る元町の風景
川べりにはべか舟
どうかこの風景が未来に残されますようにと静かに思うのでした。

新町はクリスマスモード一色 
復興の象徴なのかしら?
イルミネーションの明かりが市民の力になってくれるのはそれはそれですがね。