あの日私はいつものように仕事をしていました。
ちょうど商品をお引渡ししてカウンターでお客様をお見送りしようとしたその瞬間
いままで経験したことのない激しい揺れを感じ思わずお客様のカートを押さえ片手でカウンターに引き寄せた。
後ろには自転車がディスプレイされている。
ガタガタと高い棚からおもちゃや自転車が落ちてきた。
スタジオのほうを見るとちょうどお節句の写真撮影中でひな壇のお内裏様がごろごろと転がってきた。
ただならぬ店内放送が響きお客様を誘導しながら外にでると雷が鳴ったかと思うとぼつぼつと大粒の雨が降って来た。
また余震さっきよりは小さいけど小刻みにずっと揺れてる
目の前の駐車場が灰色の水で溢れてきた。
かと思ったら歩道の敷石がまるで水みたいに波を打ちながら崩れ始めた。
あっという間にその間から真っ黒な泥水は噴出してきた。
お店と歩道に段差が出来始めた。道路が沈んできたのだ。
海に対して直角の方向に道路だけがきしきしいいながら何メートルも左右になんどもスライドしてくる。
またガタガタとゆれた。
電柱が傾き始めた。ずずっにぶい音がした。またお店と歩道が引き剥がされてきた。30センチくらい沈んだ。
泥水は私の膝あたりまできた。
このままでは危ない。全員帰宅となりざわざわとした心臓を押さえながら2階の駐車場に車を取りに行くと下りのスロープが落下している。上り用のスロープからゆっくり車をだしたが
出口の敷石が波打ってて車のお腹をがりりとする音がした。
その後もなんどもなんどもガタガタガタガタとゆれるたびに道路がどろみずで波打っている。
ゆっくり車を出すといつも利用しているコンビニが傾き泥に埋まってきてるのを左手に見ながら
川のような道に車を出した。一瞬死ぬかもしれないと思った。でもその前に子供たちを迎えに行かないとという思いだけで必死に運転した。
途中で止まってしまうかもしれないと思いながらハンドルを握り締めバスの通ったところをゆっくり前進する。泥の下の道は陥没しているところもある。もしそこにはまったら
エンストしたらと体に力がはいる。信号は点滅し駅前には逃げ惑う人々で溢れかえり
その光景は忘れたくても忘れられない。あっという間だった。
全てがほんの数分の出来事だった。
液状化がはじまったのは最初の地震から15分くらいしかたっていなかった。
子供たちを迎えに行ったときの安堵感は今でも忘れない。
その後あふれ出た砂は海水をたっぷり含んだ重たい泥となり固まった。
その泥が乾いてくると春1番の強い風にのって砂漠のような砂嵐となって街中に吹き荒れた。
この時点で上下水道は完全にやられマンホールはオトナの身長よりも高くつきあがり
歩道は40度くらいに傾く。
スーパーと歩道には1メートルくらいの段差ができて建物の土台がその段差から不気味に覗く。
引き剥がされた感じ。小学校は仮設トイレが並び給水車が止まる。
3日たってようやく街の様子をみるとゴーストタウンみたいだった。何処もかしこもゆがんでたり傾く街並みがいまだ復旧されてないところもたくさんある。
取り残された感じがする。
東北のみなさんのような絶望的な光景を見たら自分たちは家もまだあるし幸い大きな損賞も無い。
だからこのことは全然助けてと手を上げるほどのことではないんだ!自分たちで頑張らなきゃいけないんだ!とずっと思ってきた。
でも
義援金は東北に自衛隊も東北になにもかも規模のちがう東北へ集中
ボランティアも市民中心
頑張ってきたよねURAYASU
助けてって言ったら助けてくれたかな。
1年経ってもあの日出た泥は海沿いの公園に四角く綺麗に集められ放置されたまま